「ヘッダ・ガブラー」@赤坂RED/THEATER を観てきました。
イプセン戯曲で主演が小沢真珠ってだけなら観にいかないところですが、山本亨さんの出演に加え、タニノクロウ氏を交えたアフタートークがあるというのでその日を狙って行ってきました。(先行予約だと、通常よりも割安というのも大きな要因)
私は、イプセンに関してほとんど知識がないので、観劇日直前になってネット検索などして、「ヘッダ・ガブラー」のブログを見つけ、描かれた背景などをさくっと情報収集。
この戯曲、執筆途中で中断してなかなか書きあがらないとイプセンが日記だかなんだかに書いているらしいのですが、実はその原因はイプセン自身にあり、なんでも年若い娘に夢中になり執筆どころではなかったらしいです。
話がそれましたが…
ヘッダ・ガブラーというのは主人公の名前です。
地域の長的存在であったガブラー将軍の娘。
彼女は将軍の娘であることに誇りを持っています(父親の拳銃に異様に固執している)。
しかし、“ガブラー将軍の娘”と呼ばれるのは嫌がります。
彼女は結婚しているのですが、夫の姓で呼ばれるのはもっと嫌がります。
夫の親代わりである叔母が病気だと聞いても“気が滅入る”と言って見舞いにも行きません。
特定の男性に従属するイメージが強いのか、ヘッダはやたらと、呼ばれ方にこだわっているよう。
事前に抱いていたヘッダ像は、もっと可愛らしくて奔放な女性、まさにお姫さまのように振る舞う女性でした。
しかし、舞台に登場したヘッダは憂鬱そうで悲しげでした。
夫にわがままを言い、昔馴染みの女性の人生をもてあそんでやろうと画策し、尋ねてきた知人に突然銃をむける。このヘッダが奔放な美しい女性には、私にはとうてい見えず、陰欝な女性にしかうつりませんでした。
彼女がわがままな発言をすれば客席は笑っていましたが、私はちっとも笑えませんでした。
そのわがままを“うん、ならしょうがないね”と許す人たちの姿に、“でも気を付けなさいね”と諭す姿にこそ愛らしさや可笑しみを覚えました。
そして、笑えない理由はもうひとつあって、小沢さんのセリフが薄っぺらくてこちらへの届き方が他の人物たちとは違うのです。
羽毛と鉛の玉を同時に落としても着地の時間に差が出るように、セリフの聞こえ方に微妙なズレがあって、最後までしっくり来ませんでした。
アフタートークで、社会的なことに絡めて女性を論じようとする男性客の質問がありましたが、男性はあの芝居に社会の中での女性とか時代の中の女性を見ているのでしょうか?
あの生き辛さは現代にもあるのじゃないかなぁ、と思います。
まわりが“とてもあたりまえのこと”としているあることが、彼女には受け入れがたいことなのではないでしょうか?
誰かの人生をどうにかしてやろう、などと考えている人は、実は自分の人生をどうにかしたい人なんだろうと想像します。
最後に彼女のとった行動は、芝居の上でとても腑に落ちるものでした、というか、途中で“あぁ、彼女はこうするだろうな”と想像したとおりの結末でした。
小沢さんの声に最後まで違和感はありましたが、とても現代的な芝居で、なかなかよかったです。
中でもやはり、山本さん演じるブラック判事のブラックぶりと、町田マリーさん演じる女性の“嫌な女っぷり”に、いたく感激しました。彼のため、彼のためと言いつつ自分のため、な女のうざいところがね。
上演後のアフタートークは、上演台本を書いた方と演出家と、ゲストのタニノクロウ氏が、イプセンなりヘッダなりについて話して、後に質疑応答というかたちだったのだが、どう進めるかというビジョンは無いらしく、ダラダラとしたものでした。
せっかくゲストに来たタニノさんがあまり喋らないというのもいかがなものかと思いました。
が、SMの話と、「野鳩」演出時に行ったアフタートークの裏話がめちゃくちゃ面白かったです。
こうしてみんな大きくなるんですね~と、じんわりしました、というのは嘘で、想像して大笑いしました。
こうしてみんな大きくなるんだな、って。